宗教って何?カルトとどう違うの?

「アリスさん!久しぶりですね。早いものでもう今年も終わりです。残りひと月どのように過ごしますか?」

「うさぎのラビットさん!」今年は生活面では犬のハナちゃんの目が見えなくなって、世話が大変でした。霊的には(精神面では)御言葉通りに生きる事を命題にしてきましたから、明け方のお祈りも、すぐ集中できるようになりました。四六時中、神様に意識を向けなさいという御言葉がたびたび出ていました。実行していくと、そんなに意識しなくても頭のどこかで常に神様を意識するようになります。

「アリスさん!信仰もだんだん深くなってきましたね!」

「うさぎのラビットさん!」先日、親戚のおばさんの3回忌がありました。僧侶が来てお経をあげていきましたが、急に葬式ができたという事で、30分始まりが繰り上がり、お経も随分短いものでした。それでもわずかな時間のお経で(えーっ!!)と言うぐらいの請求が来たようです。その前には庫裏を建てるからという事で、一口百万円のお布施と称してお金を集めたようです。

「アリスさん!最近はお寺離れする人が多いようです。庫裏と言うと何かお寺の改修か何かと勘違いする人もいるようですが、寺の坊主や息子の家を新築することですからね!」

「うさぎのラビットさん!」どおりでまだ30にもなっていない若い僧侶がちょっとした豪邸に住んでいるわけです。

「アリスさん!お寺離れが言われ始めてすでに久しくなっています。私も父親とお寺の本堂に上がって、位牌をお参りしたことがありましたが、ひな壇に並べてあった位牌がいつもの場所にありません。父親が蒼い顔をして探しましたがありません。いつもなら段の中腹にあったのにありません。やっとのことで探したら一番下の端にありました。はっと気が付いた父親は先日の法事でお礼(お金)を忘れたと言っていました。慌てて払ってきたようですが、次回に言ったら元の段におさまっていました。(地獄の沙汰も金次第・・・)とつぶやいた父親の言葉を思い出します。」

「うさぎのラビットさん!」最近は家族葬とか樹木葬などが注目されているようですが、死後も随分お金がかかります。聖書にも御言葉にもそんな事は一切言ってないのにそれを当たり前と考えている人たちが多いことにびっくりします。貧乏人は死後も救われませんよね!

「アリスさん!世間で言うカルトと、宗教とは一体どこがどう違うのか神様に問うてきました。そしてあることを思い出させてくださいました。」

「うさぎのラビットさん!」是非聞かせてください。

「アリスさん!もうしばらく前になりますが、ある展示会場に行った時のことです。その展示会場は暖房器具やいろいろな物産を紹介しながら即売会もしているところでした。そこでは多くの展示ブースが並んでいて、メーカーや卸問屋が取扱商品を展示して招待された小売店や個人に販売するシステムになっていました。その展示会でひと際売り上げをあげている女性がいたのです。私もその女性の販売方法に興味がありましたから覗いてみました。ところが私の予想を裏切って、その女性の売り方は買ってください!買ってください!の押しの一手なのです。びっくりしました。ストーブやファンヒーターなどの暖房器具を売るのですが、お客さんが他のメーカーとどう違うのか訊ねているのに、私どものメーカーが良い!の一点張りです。その女性は特別美人でもなくごく普通に見えましたが、押し売りをしてもあんまり嫌味を感じない人でした。お客は諦めるのか その女性の一途さに負けるのか、結局買う羽目になるようでした。」

「うさぎのラビットさん!」その女性の売り方とカルト宗教とどう関係するのでしょうか?

「アリスさん!もう一つあります。知り合いの美容師をしている人ですが、お客の一人から とてもためになる話があるので一緒に聞きに行きましょうと半ば強引に誘われて着いていったのだそうです。その会場に着くと、ごく普通の家で畳の部屋に通され、どんどん中に詰められて前後左右身動きが取れない状態にされたそうなのです。トイレにも立てなくてそこに座っていると、話をする人をサポートするように幾人かの人も来て、周りに座っている人たちは 話に聞き入り、感心したようにうなずいていたのだそうです。話など聞く余裕もなく長い間辛抱していたようですが、帰る時にはへとへとになっていたようです。」

「うさぎのラビットさん!」私も似たような話を聞いたことがあります。本来 宗教は言葉でこういうものだ!と簡単に説明できません。辞書で引くと宗教の宗は言葉で表されないもの、教は言葉で表す事とあります。言葉で表せないものを言葉で納得させるのですから、それを信じるかどうかです。カルトはそれを一切省いて強引に勧誘させます。ラビットさんが経験した展示会の女性も、この製品がどうして優れているのか、どのような欠点があるのか説明なしに感情に訴えて買わせます。院号をつけると良い所に成仏できるとお寺の坊さんが言うのを何べんも聞きました。そしてその理由を正確に答えてくれた人は誰もいません。」

「アリスさん!私たちは神様が存在していることを、徐々に徐々に確信するようになりました。それは明け方にお祈りするようになって、自分のしてきたこと、したことを心から悔い改めていくうちに信じられるようになりました。何故ならお祈りが終わると、心がさっぱりするのです。そしていろいろな不安や心配が解消されていくのが分かるのです。全くなくなるのは私にはまだ無理です。信仰が進んでもっと深まればそれも解消する気がします。そんな予感がするのです。神様と生きるのはとても厳しいですが、その道に行けば間違いなく心に平安が作れるのを実感できます。今日は説明の仕方がまずくて、わかりにくかったと思いますが、もっともっと勉強して、こうするとあなたの問題が解決しますよ!と話していきたいです!」