尾畑晴夫さんと木下惠介「父子草」と!

「アリスさん!父子草はどんな映画だったのですか?」

「うさぎのラビットさん!」ガード下で、おでん屋台を営業する小綺麗な女将(淡路恵子)とキッカー客(蹴り出して帰ってもらいたい客)の渥美清です。渥美清は石切り場で働く職人で、人生どこか投げやりです。そこに苦学しながら東大を目指す浪人生がやってきて、渥美と喧嘩相撲になります。

(取っ組み合いをする渥美と苦学生の石立鉄男)

女将はハラハラしますが、次の日も二人は取っ組み合いの喧嘩を始めます。学生をこき下ろす渥美に、女将は学生が苦労しているとたしなめます。屋台には父子草が飾ってあります。

(おでん屋台での渥美と、女将の淡路との掛け合い)

(父子草)

渥美は佐渡出身ですが、兵隊にとられ大陸に渡りますが、終戦になっても日本に返れず、シベリアに抑留されます。戦後5年たってやっと帰った佐渡には妻と子供が自分の弟と再婚して暮らしていました。死んだ者と思われ(英霊)となっていたのです。

その子供を浪人生の石立に重ね合わせ、石切り場で稼いだ金を受験費用として女将に託し、突っ返されないように消えます。石立は勉学に集中して合格します。この映画は皆が愛に包まれていました。愛の競争です。これが名作として伝わっていることに、本当に良かったと思いました。時間のある人は是非見てください。

「アリスさん!私も是非見てみます。

私は今、話題沸騰中の尾畑春夫さんを調べました。尾畑さんは小学校5年生の時、母親が他界します。7人兄弟の4番目で、父親は下駄職人でしたが、下駄からゴム靴に変わっていく時代の為、仕事は減る一方で困窮します。中学に入ると、魚屋へ奉公に出されます。中学には4か月しか行けず、父親を恨みますが、諦めの境地からか、人生こんなものだと何かを悟り、その時の経験が後の尾畑さんを作り上げる土台となるのです。父親への恨みは感謝の念に変わったと言います。

魚屋の開店資金を得るために、土木、トビの仕事につき、その時の経験が現在のボランティアに役立っているのです。やがて28才で魚屋を開業し、結婚して子供も授かります。鮮魚店は流行りますが、65才の時、惜しまれながら閉店し、ボランティア活動に専念するのです。今、尾畑さんが行くところ、沢山の人が老若男女を問わず集まります。格言のような言葉を書いてくれるのだそうです。それを載せておきます。

格言その1
たまがるほどの元気
たまがるほどの笑顔
たまがるほどの愛情
たまがるほどのまごころ
たまがるほどの幸せ
たまがるとは大分弁で「驚く、びっくりする」という意味らしい。
転じて、一杯とか、沢山のといった意味を含むとか。

格言その2
人生は山坂多い旅の道
還暦 六十才でお迎えが来たときは人生ただいま留守と云え
古希 七十才でお迎えが来たときはまだまだ早いと云え
喜寿 七十七才でお迎えが来たときはせくな老後これからよと云え
傘寿 八十才でお迎えが来たときはなんのまだまだ役に立つと云え
米寿 八十八才でお迎えが来たときはもう少しお米を食べてからと云え
卒寿 九十才でお迎えが来たときはそう急がずともよいと云え
白寿 九十九才でお迎えが来たときは頃を見てこちらからボトボツ行くと云え

https://danalog.hamazo.tv/e8188017.html

(情熱大陸での尾畑さんの動画)

 

「うさぎのラビットさん!」私は尾畑さんから沢山の元気と勇気を貰いました。欲を言うと、私の願いは尾畑さんが神様につながってくださることです。尾畑さんのような人が神様につながってくれたなら、どれほど多くの人が救われるでしょうか!!

今、日本はどんどん暗い世相に包まれています。尾畑さんのような人が次々と現れ、(父子草)のように愛の競争社会が出来上がれば、本当に素晴らしいと思います。神様への道は本当に厳しいものです。それでも尾畑さんや渥美清さんのような人はいるのです。日本も捨てたもんではないですね!

 

 

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